幼いころ、讃美歌を口ずさみながら、日曜学校に通った経験をもっている方はたくさんいらっしやるのではないでしょうか。ミッション・スクールで学んだ方、また教会で結婚式をあげたという人も多いのではないでしょうか。これらの方にとってはもちろん、そうでない方にとっても、教会とは……何かなつかしい、心の郷愁を感じさせるところです。若い日に、「一度、教会に行ってみたいな」と思わなかった人はほとんどいないくらいです。
それにもかかわらず、人々はなぜ教会へ行くことをためらってしまうのでしょうか。その理由をたずねてみますと、こんな返事かかえってきました。
Aさん「行ってみたい気持ちはあるのだけど、忙しくてね……」
Bさん「教会は自分のようなものが行くところじやないような気がして……」
Cさん「結局のところ、キリスト教は西洋の宗教だから我々日本人には……」
忙しいから教会へ行こう
「忙しい、忙しい。」これは現代人の口ぐせになっています。一体何が忙しいのでしょう。なぜそんなに忙しいのでしょう。何かに追いたてられているように「一億総いそがしい」というのが日本人の姿であります。外国人の目には異様に見える日本人の忙しさ、それは結局、物質的な豊かさ、金、地位、マイホームを得るための忙しさにほかなりません。子育ても教育も、仕事も、ただひたすら物質的豊かさを究極の目的としているように思えます。
家よりも、その中に住む人間が大切であることはいうまでもありません。同様に人間にとって、肉体よりも、人間の本質である心や魂はもっと大切なものであります。しかし、現代人は物質的な豊かさを追い求め、人間の外側の問題ばかりを重視する余り、人間にとって、人生にとって最も大切なものを見失っているのです。これでは本当に心を滅ぼしてしまいます。
神は7日の中の1日を特別に聖別して安息日とされた、と聖書に書いてあります。それは単なる息抜き以上の意味であって、すべての人間が、自分自身を取り戻す日、神について、永遠について、自分の霊魂について深く考え、また人生の真の目的を発見し、軌道修正する日なのです。「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである」(マタイ4:4)とイエス・キリストはおっしゃいました。あなたの肉体が生きるためにパンを必要とするように、あなたの霊魂も永遠に生きるために食物が必要です。あなたはお忙しいですか。それではぜひ教会へおこし下さい。
自分を変えたい時は教会へ行こう
多くの方が、「私のような罪深い者はとてもとても教会には入れません」とおっしやいます。しかし、考えてみましょう。あなたは病院へ行く時に「私のように病気を持ったものは、とてもとても病院には入れません」というでしょうか。イエス・キリストも「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく病人です。……私は罪人を招くために来たのです」と語っておられます。私たちは、自分が正しく清い人間であるから教会へ行くのではなく、自分は罪深い者であり、不完全な者であるから、清くなるために、よりよい人間になるために教会に行くのです。
また、長い人生の旅路においては、だれでも疲れをおぼえたり、傷ついたり、倒れたり、苦しんだりすることがあります。時には死んでしまいたくなることもあります。そんな時には教会へ行きましょう。「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげよう」(マタイ11:28)と言われるキリストのところへ行きましょう。イエス・キリストはあらゆる病とわずらいをいやして下さる名医です。また、キリストにしっかり結びつくことによって、あなたは造り変えられて新しい人となることができます。
真の神を求めて教会へ行こう
日本では、キリスト教がヨーロッパやアメリカの宣教師によって伝えられたため、西洋の宗教だと思っている人が多いようですが、キリスト教は西洋の宗教ではありません。イエス・キリストは、アジア(パレスチナ)でお生まれになりました。キリスト教は、言語、人種、国境を越えて、天地宇宙を創造された唯一の真の神を信じる宗教です。日本人は古来、多くの神々を信じてきました。それを不思議とも、おかしいとも思わない感覚になっています。しかし、冷静に考えてみますと、複数の神が存在するということ自体がおかしいのです。
同志社の創立者である新島先生は、青年時代に宇宙や人間の神秘を探求し、人生問題に苦悶しておられた時に、聖書の最初の一句「はじめに神は天と地とを創造された」(創世1:1)を読み、「これで一切の問題を解決する鍵を得た」と叫ばれたそうです。この世に存在するすべてのものは結果であって、結果には必ず原因がなくてはなりません。例えば、ここに机があるということは、それを作った大工がおり、材料として木があったということです。大工には父があり、その父にはまた父がある……。すると、すべてのもののはじめには、第一原因である神が、唯一の神が存在しなくてはならない。そして、聖書が示す神こそは、その神であるとの確信に至り、新島先生はクリスチャンになられたのです。日本には日本の神、アメリカにはアメリカの神というのは、古くさい鎖国的思想にすぎません。神は雄大で宇宙的です。一つの国や民族という枠に閉じこめることのできない方です。神はすべてのものの第一原因、絶対唯一の方です。
この方の中に、真理が、永遠の命が存在するのです。あなたの運命も命もこの方の手に握られているのです。この神を知らないかぎり、決して本当の安心も、喜ぴも満足もありません。どうかあなたも、教会に行って、この唯一の真の神に出会って下さい。
こんな時には教会へ行こう
・人生の目的と目標を見出したい時
・神について知りたい時
・聖書を学びたい時
・真理を発見したい時
・霊魂の救いを求める時
・清く生きたいと願う時
・社会に役立つ人になりたい時
・もっと強くなりたい時
・心に平安がほしい時
・生きがいがほしい時
・決断を迫られている時
・人が信じられない時
・人を愛せない時
・人をゆるせない時
・人間関係で悩む時
・ひとりぼっちで寂しい時
・心配でたまらない時
・罪の意識に悩まされる時
・罪の誘惑に勝てない時
・悪い習慣が止まらない時
・病気で悩んでいる時
・死にたくなった時
・死が恐ろしい時
・幸福な家庭を築きたい時
・美しく年をとりたい時
教会の戸はあなたのためにいつも開かれています。どうぞ御遠慮なくおこし下さい。
『どう樹』344号(1984年10月)

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