教会へ行こう(本当の幸せ)


「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」

(新約聖書 マタイによる福音書 11:28)

「皆さんの中で、『自分は幸せになりたいと思ったことは一度もない!』という人がおられましたら、手を挙げてみてください。」
わたしは、日本国内のみならず、海外においても、教会の集会でメッセージを語る時、よくこのように質問します。しかし、それに対して、手を挙げられた方とまだ一度も出会ったことがありません。ということは、人間だれでも“幸せになりたい、幸福な人生を歩みたい”と願っているということなのではないでしょうか。

幸 せ 気 分 — happiness ー

わたしたちが普段使っている「幸せ」(happiness)は、「ハップ(hap)」という「運、つき、たまたま、偶然」という意味の言葉から派生したそうです。
ですから、わたしたちがよく使っている「幸せ」とは、偶然、今は仕事が順調なので幸せです。今はたまたま病気ではないので幸せです。今は親子関係が良好なので幸せです。わたしたちは夫婦円満で今幸せです……といった、非常に不確かな幸せ感だと思います。
つまり、仕事が無くなればもう幸せ気分ではいられなくなりますし、病気になれば、幸せだと思っていた人生は消えていってしまう……。そのような、不確実な幸せを実はわたしたちは求めてきたようにも思うのです。
次の瞬間消え失せてしまうかもしれない「幸せ気分」を手に入れるため、地位を求め、名誉を求め、お金を求め、快楽を求めてきたのかもしれません。

本当の幸せ ー blessing —

しかし、聖書が語りかける「幸せ」は、病気になったとしても、また失業や人生の挫折という様々な試練に直面するようなことがあったとしても、奪われることのない心の平安、天来の慰めと消えることのない希望を伴うものです。聖書ではこれを「祝福」(blessing)と言っています。
このような、事情・境遇によって変化しない、本当の幸せ、神の祝福に満ちた人生というものを、わたしたちは必要としているのではないでしょうか。そしてこの「祝福」を提供してくれるのが、あなたの町の教会です。

「こんなとき」には教会へ

対人関係がうまくいかなかったり、人が信じられなくなったりしたとき、教会を訪れてみてください。
ひとりぼっちで寂しいとき、子育てに悩み、戸惑うとき、人を愛せなくて苦しんでいるとき、病気で苦しんでいるとき、幸せな家庭を築きたい、と願うとき、こんなときには教会におこしください。
また、「わたしは今、『happiness』だ」と思われる方もぜひ来てください。
真の神様、イエス・キリストは言われます。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイによる福音書 11:28)
さあ、次の日曜日、勇気をもって教会の門をたたいてみませんか。普段着のままで結構です。
笑顔で歓迎いたします。


わたしは「こんなときに」教会に行きました
聖イエス会嵯峨野教会(京都市)Nさん

わたしは、真面目な主人とふたりの男の子に恵まれた幸せな家庭の主婦でした。
しかし、わたし自身は人生の真実の意味が理解できず、心は空虚で悶々とした日々を送っておりました。人からは、「それは、ぜいたくな悩み」と言われるのですが、わたしは生きることの空しさに耐え切れず、救いを求めていろいろな宗教の門をたたきました。
そんな時に、一人のクリスチャンの方に誘われ、初めて教会を訪れましたが、「あぁ、イエス・キリストこそ、わたしが探し求めていたお方だった!」と思い、大変感動しました。そしてわたしはこの教会で、「イエス様を真の神、救い主と信じて、その御名『我は主なり』を心から呼び求める時、明確に神と出会うことができます」と、聞きました。
わたしはそのとおりに御名を呼び求め、ついに神様と出会い、心に本当の喜びと平安を実感しました。長い間空虚であったわたしの心は、神様ご自身によって満たされました。「神は愛なり!」

『ぶどう樹』691(2013年9月)

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