忙しい日本人
日本人は几帳面で時間に正確という良い面を持っていますが、とりわけ現代人は少し急ぎすぎ、忙しすぎのように見えます。子どもさえ、部活や塾、習い事にと毎日過密なスケジュールに追われています。忙しさはイライラを増幅させ、周囲との不協和音を生じさせてしまいます。
そう言えば、「急」という文字の元々の意味は「狭い心」ですし、「忙」という字は「心」を「亡ぼす」と書きますね。どうやら現代に生きるわたしたちには今、休息が必要のようです
聖書が示す安息
では、わたしたちにとって休息とはどういうことでしょうか? いつもより長く寝たり、陽だまりの中をゆっくりと散策したりすることでしょうか?
聖書はこのように言っています。
「安息日を心に留め、これを聖別せよ。六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。」(出エジプト記 20・8~10)
この言葉は、天地創造の業を六日間で終えた神が七日目に安息され、その日を「聖なる日」と定め祝福されたことに由来します。
そして神は、この日にはすべての人が普段の労働から解放される、と宣言しておられるのです。
心の休息を得るには
この神の言葉に従い、クリスチャンは日曜日に教会に出向き、礼拝に出席するのです。神が定めた「聖日」に、人々が心を神に向けることこそ神が最も喜ばれることであり、祝福の源となるからです。わたしたちは一週間(一六八時間)の中の一日、特に礼拝の一時間、心を集中して神を仰ぐことが、残りの一六七時間にすばらしい価値を生み、また神からの豊かな恵みにあずかることができるのです。
人間というものは限りなく自己中心ですから、放っておくと自分の利益や利害だけを追い求め、心を亡ぼしてしまいます。
ですから神は、一週間の中に「安息日」、心の休息の日を設け、専ら神と交わり、心を回復するよう、わたしたちを招いてくださっているのです。
愛なる神、イエス・キリストは言われます。
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイによる福音書 11.28)
心の休息が必要なあなた、日曜日の一時間を神のもとで憩うために、どうぞ教会へおいでください。
『ぶどう樹』581(2004/7)
週に1度の聖日礼拝をきちっと守り、1日も休まないようにすることの重要性を、ある人が次のように説明してくれた。
「1年・365日は、ちょうど長い廊下にカーテンをかけたようなもので、それをささえているのが52個のつり金具である。この金具のすべてにカーテンがしっかりとかけてあれば、カーテンの片隅を引くだけで、ビシッとカーテンを張ることができる。ところが、このうち、何か所かが、つり金具からはずれているならば、カーテンの片隅を、いくらビシッと引っぱっても、たるんでしまって、しまりがない。1年の生活もこれと同じで、クリスチャン生活というのは、聖日がバシッときまってこそ、はじめて充実したものになる。」
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