アンネ・フランクという少女を知っていますか?


アンネの日記

アンネ・フランクという、ユダヤ人の少女を知っていますか?  「アンネの日記」を読んだことがありますか?
この「アンネの日記」はおとなになるまでに、だれもが一度は読んでみる、すばらしい日記です。「日記」が書かれたのは、1942年から1944年にかけてのことです。第2次世界大戦が勃発(ぼっぱつ)して、人々の心も暗く、生きる目的や希望を見失っていた時代でした。
アンネは、ヒトラーによってひき起こされた戦争の中で、ナチス・ドイツのユダヤ人迫害をのがれて、アムステルダムの隠れ家に身を隠しました。アンネの家族とファン・ダーン家と、デュッセル氏の8名が一緒でした。
アンネは隠れ家の中で、熱心に日記を書きつづけました。それは隠れ家に入る直前に、13才の誕生日を記念して、父から送られた、赤いチェックのかわいい日記帳でした。
この「アンネの日記」ほど、世界の人々に平和を訴え、人の心を強く打ったものはありません。
日記の内容は、戦争という悲惨な境遇の中で体験した、隠れ家の生活記録です。同時に、アンネの気高い精神、自由と平和への願い、深い人生観が、みごとに書き表されていて、他に類を見ない価値ある日記になりました。
アンネの書いたものは、日記のほかに、童話や手記が奇跡的に残っています。
当時、多くの人々がナチス・ドイツの残虐を書き残そうとしたのですが、ほとんどの資料は焼滅しました。その中で、アンネの書いたものは、不思議な運命の中で残ったのです。

アンネの父、オットーさんは、「アンネの日記を読んで、隠れ家の中で起こったいろいろなことに関心を持つだけでなく、アンネの書いたものから、アンネの思想、理想、意見などに気がついてほしい」と語っておられます。
逆境の中にあっても、アンネが見失うことのなかった、人間の尊厳や、やさしさ。豊かなアンネの心がしみじみと伝わってくる文章を読んでみてください。

「人の真の偉大さは、富や権力にあるのではなく、人格や善良さにあるのです。人生のスタートに必要なのは、お金や物質ではないのです。
この世界をより精神的に豊かにするのは、そんなにむずかしいことではないと思います。
与えてください。あなたのできうるかぎり!
わたしは物質だけを言っているのではありません。優しさです。励ましです。小さな親切です。
神様は、この地球に住むわたしたちに、あり余るほどの広さ、資源、大自然の美しさを作ってくださったのです。わたしたちはそれを公平に分け始めましょう。分かち合うことによって、わたしたちはすべてにより豊かになるのです。」(小学館『アンネの青春ノート』より)

隠れ家の片すみで、アンネは生きることをまじめに考えました。ただ生きるのではない、価値ある人生を生きてみたいと、切実に願ったのです。そしてアンネは15才でありながら、「世界と人類のために働きます」という、大きなビジョン(理想)を抱きました。
それは、死んでから後も残るような立派な仕事をしたいという、美しい夢でした。
こういう気高い理想が、決して幸福な生活の中から生まれたのではなかったのです。暗い、不安な隠れ家の中で芽ばえました。
苦しみと孤独のはてに、アンネはふつうなら、一生かかっても身につけられないような、崇高な考えを持つようになったのです。

アンネの信仰

あなたは、アンネが逆境の中で、神様を信じていたことを知っていますか?
オットーさんさえ、あとで知って驚かれたといわれるのは、アンネの信仰です。アンネが書き残したものには、神様についてふれている部分がいくつかあります。
アンネの精神を形成した、希望と信仰、正義の要素。その中でことに信仰は大切なテーマです。
ユダヤ教のラビ(教師)の一人は、このアンネの日記の背景にあるのは、聖書の教えであると言われました。
昔、旧約聖書の詩篇の作者は、「わたしは死ぬことなく生きながらえて、主のみ業を物語るであろう」(詩篇118:17)と歌いましたが、同じユダヤ人であるアンネは、その言葉に生きました。
隠れ家の苦しみと孤独にみちた生活は、アンネに神様を意識させ、強い信仰へと導きました。
ちょうど、アウシュビッツのガス室に追いつめられたユダヤ人たちが、死を直感して、メシヤを待つ信仰に立ったように、アンネも一人のユダヤ人として、苦難を通して神様に向かったのです。
神様の存在に気づいたアンネは、だれからも与えられなかった、心の安らぎと慰めを見いだします。神様への信仰は、正義、勇気、愛、平和、希望となってアンネを支えました。
アンネの思想が、アンネをこえた普遍的な真理を含んでいたので、時代をこえ国境をこえて多くの人々に感動を与えるのです。
アンネにとって、美しいもの、永遠なるもの、限りない希望は神様の存在と共にありました。

死の荒野の中で・・・・・・

「アンネの日記」は、1944年8月1日で終わっています。
ではそれからのちのアンネは、どうなったのでしょう。
アンネもまた、600万のユダヤ人がたどった同じホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の道を行きました。
隠れ家から、ゲシュタボに連れさられたアンネ達は、ポーランドのアウシュビッツに輸送されたのです。

オットーさんは、その時のことを次のように回想しておられます。
「アウシュビッツに到着すると、すぐ男と女は別々にされた。そしてもう二度と、私は私の愛する者に会うことはなかった。私はここで起こったことについては、もう何も話したくない。ただ隠れ家の者がどうなったかだけを話そう。
ここでは多くのユダヤ人が体力を使い果たして死んでいった。ガス室では、何万人もの人が殺されつづけていた。ファン・ダーンさんは、このガス室に送られて死に、息子のペーターは、ソ連軍から逃げるドイツ軍につれ去られて死んだ。
私の娘達は、さらにベルゲン・ベルゼンへ移され、妻はとり残されてアウシュビッツで死んだ。」

また、アウシュビッツの生存者であるあるユダヤ人は、「私達ユダヤ人は、恐怖のあまり人形のようにドイツ兵に従った。アウシュビッツに着くと、ドイツ兵はユダヤ人の全身の毛をそり落とした。切れないバリカンで刈られるので、皮がついたままひきはがされ、だれもが全身血だらけになり、頭の皮がめくれたものもいた。
そして、大きなドラム缶の中の、真っ黒い液を全身にあびて、我々は消毒された。激痛のあまりみんな大声をあげていた。
私は地獄のような日々をくり返し、7つの強制収容所をまわされて、奇跡的に生きのびた。しかし、助けられた時、私はもう歩くことができなくなっていた。」
ここで何があったのか、だれも語ろうとはしません。しかし、残されたユダヤ人の髪の毛の山、くつの山、服の山は、強烈にナチス・ドイツの残虐を物語っています。
ユダヤ人の身体の脂(あぶら)から作られた石けん、髪の毛のカーペット、皮膚で作ったスタンドのかさやブック・カバーが発見されています。
生き残った人々は、精神的におかしくなったり、今なお幻影に悩まされています。人体実験や拷問にあった人々は、今も身体に大きな障害を残しつつ黙しています。
アンネは、このような世界をとおり、再びドイツ国内のベルゲン・ベルゼン強制収容所に輸送されて、そこで死にました。
私は、このアンネの死を確認したエリカさんの証言書を、イスラエルで見いだしました。600万人のユダヤ人ホロコーストを記録するヤド・バシェムというところで。
アンネ・フランクの死亡年月日は、1945年3月31日でした。

600万人のアンネがいる

アンネと同じような、ホロコーストの運命をたどったユダヤ人は、600万人をこえています。
600万といっても、数字だけみていては、人間性を感じることができません。この600万人が、ひとりひとり、かけがいのない愛する人であったと、どう証明すればよいのでしょう。
それを物語るのが、アンネ・フランクなのです。ひとりの少女の人生を明らかにすることによって、600万の人生を語ることができます。
アンネの生涯が、明らかになったことによって、その背景にあった、ナチズムの非道が明らかになりました。アンネは、600万の人々の顔となり、それらの人々を代表する人物となったのです。アンネのことを、600万ユダヤ人のシンボルであるというのは、そのためです。
そして、ユダヤ人は「アンネの物語は、私の母の物語だ」「アンネは私の妹と同じだった」というのです。まさに、アンネは一人ではない、600万人のアンネがいるのです。

新しいアンネ

あなたは、アンネがホロコーストされて、ベルゲン・ベルゼンで死んだことを知りました。
では、アンネの物語は、ここで終わるのでしょうか。
いいえ、アンネの物語はこれから始まるのです。アンネの精神、理想、信仰をうけつぐ人々の登場によって、新しいアンネの物語が始るのです。その主人公は、あなたです。
偉大な人類愛に生きた、15才のアンネの人生を受けつぎ、平和の人となって、アンネの夢をかなえてあげてください。
「わたしは死ぬことなく、生きながらえて、主のみわざを物語るであろう。」詩篇118:17)

『ぶどう樹』328号(1983年6月)


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